謎解き

謎解きイベントに参加するため、京王線井の頭線を行き来する。小腹が空いたので、明大前駅でドーナツを買った。渋谷行きのホームでこそこそかじっていると、すかさずわが子が「ママ、ここで食べちゃダメだよ!」と咎めてくる。子にマナー違反を叱られる親である。さて、井の頭線に乗ったことは数えるほどだが、子と乗るのは初めてだ。「今日は爽やかな色の空だな」「東松原って、駅があるんだな」などと明るい気分に浸る。

腰を据えて取り組まなければならない謎があり、途中のポイントで降りた駅でカフェに入る。google mapで選んだカフェには、入り口を入ってすぐのところにフクロウが2羽いて、どちらもとまり木で眠っていた。子はいたく気に入り、席を離れて3回見に行った。1羽は白い顔のメンフクロウだった。羽の色が、たっぷり水を含んだ絵筆を紙に乗せたような薄い茶色をしていて、所々にまだらの黒い模様が入っている。水墨画のモチーフにありそうだ。もしメンフクロウを描いた水墨画があれば見てみたい。

私はホットコーヒーを頼んだ。夫はアフォガードとイチゴミルク、子はクレープとリンゴジュースを注文する。私のコーヒーは作家もののコーヒーカップに入ってやってきた。カップ側面に、版画のようなタッチで山の上に流星群が降り注ぐ模様が入っている。器そのものが詩のようだと思った。「素敵なカップでコーヒーを飲む贅沢さ」を噛みしめる。そういえば、この前山の上ホテルのパーラーで、マイセンのカップで紅茶を飲んだときにも同じように幸せな気持ちになれた。わざわざ所有せずとも、外に出れば素敵な茶器でコーヒーをいただける。そういう価値の捉えかたもあると思う。

謎解きは夫に任せてコーヒーを啜ること2時間、夫は答えを見つけたようだ。カフェを出て駅に向かう。もう夕方の気配が色濃かった。

行きもなんとなく思ったけれど、この地域はやけに庭に梅を植えている家が多い。ぽつぽつと咲く小さな花は、薄暮の庭先でも、電飾のごとくぴかぴかと主張する。梅って桜よりも手軽に育てられるのだろうか。梅の花は庭園とかで群生しているさまも見事だけれど、こうして散歩中に思いがけず出会う感じもまたよい。春が庭先に降り立ち、道ゆく人々に「ここです」と春の訪れを知らせてくれているようだ。見た方もわざわざ「梅が咲いてるね」と言いたくなる。春の報せは特別だもの。

一日乗車券を無くしたので、新宿までの運賃を払わなければならなかった。しかもカフェで出した答えは間違いだった。徒労である。でも、謎解きでなければ一生来なかったかもしれない場所を歩くときのあの感覚。降り立った場所をもっと歩いて知りたいと思うけれど、時間が限られている。街歩きの予習としよう。

私はどこに行くかが重要なのではなくて、行ったことのない、観光地でもなんでもないただの住宅街をひたすらに歩くことが好きらしい。でも、自分から計画を立てて行動することが億劫だ。私の場合は、街歩きとしての謎解き。そういう謎解きの捉えかたも、あると思う。