ペトリコール

交差点で信号待ちをしていると、雨の前触れのような空気の匂いがする。

季節の変わり目の、湿気を含んだぬるい大気は、漠然とした切なさをはらんでいる。いつぶりだったか、どこかで吸い込んだことがある気がする。記憶の中から探し当てようとするその前に、その匂いに思いがけなく出会ったことすら記憶に残らない。正体がはっきりしないのに、幼いころから知っているような親しみがある。

今日もたくさん失敗した。いい年して、仕事も人付き合いも、上手くやれない自分にうんざりする。あんなことを言って、あの人の気持ちを傷つけたのではないか。もっとこうすればよかった。そんなことをクヨクヨ考えながら早歩きで駅に向かっていると、ふと、夜にさしかかる街の匂いがいつもと違うことに気づく。

「音と香りは夕暮れの大気の中を漂う」

ドビュッシー前奏曲のひとつで、たしかボードレールの詩の一節だったと思う。憂いをおびた、たゆたうような旋律。反復する和音。自分を包む大気の存在を感じるとき、その曲名を思い出す。

あるいは武満徹の「小さな空」かもしれない。悲しみや涙、言葉が、優しいメロディーに乗って呼びこされる。

匂いの正体は、アスファルトにひそむバクテリアやカビのにおいで、雨の前触れの香りらしい。

懐かしさの正体はカビなのだ。

次の交差点に差しかかる頃には、大気の匂いの実体に思いをはせたことすらも忘れているはずだ。