なんだか忘れっぽい

疲れているのか、ストレスが溜まっているのか、なんだか最近忘れっぽい気がする。

話を聞いているそばから忘れてしまう。頭に入ってこなくて、切り返しの言葉が見つからないときもある。電話の話が特に入ってこない。昨日なんて、「え?そんな話してませんしこういう話でしたよね?」なんて若干怒られてしまった。複雑な仕事の議題だけじゃなくて、雑談みたいな話も難しい。「へえー」とか「えー!」とかしか返せない。

 

朝6時に起きてシャワー浴びてドライヤーをしようとすると、「ままー」と寝室から声がする。諦めと、会いに行きたさが混じった気持ちでおはようを言いに行く。私を呼ぶこの声を、いつまで覚えていられるんだろう。

 

忘れるのがこわい。いつかその声がどんなだったかを思い出せなくなる日が来るだろう。私がつけたその名前を、世界一宇宙一大切なその存在を、忘れるのがこわい。

絵本と反省と

眠い。このあと太郎が寝たら、今日中に入稿をひとつしなければ。今日会社の人に押し付けられた会議、結局ぜんぜん発言とかできなかった。眠い。やっつけ仕事的におさるのジョージを読んでいる。眠い。太郎は全く聞いていない。大人向けの模型列車の絵本を読んでいる。眠い。

「ママこれ読んで〜」

いや、ママこれ読めないよ。だってこれ、文字が読める大人が一人でじっくり読む趣味の雑誌であって、ママが太郎に読み聞かせるような内容じゃないよ。てゆうか、ママの話聞いてないよね?もう絵本読むのやめるよ?

そうたたみかけると、太郎は口をへの字にして、こちらを悲しそうに見つめる。みるみるうちに大きな目に涙が溜まっていく。

あちゃー。

こないだの父の一言が思い出される。「優しくしてやって」

「口すっぱくしていろいろ言うのが母親」じゃないのに。どうして冷たくしちゃうんだろう。かわいい時間は限られてるのに。気が弱いせいで仕事では誰かのことを詰めるなんてできないのに、泣かせるまで子供を詰めて。

太郎が飽きるまで線路の漢字を読んであげればいいものを。おさるのジョージをこなすことがそんなに大事か。

子どもの好きに徹底的に向き合う、私にできることはそれしかないのに。

花見

近くの川縁に河津桜が咲いていて、少し早めの花見をした。桜の美しさよりも、そこで目にしたことを覚えていたいと思った。

夫がいて、息子がいて、河津桜が満開の土手があって、土手の下では息子やよその小さな子たちがとことこ走ったりしていた。土手の上では高齢女性たちが長い間日向ぼっこしている。空はさめざめと青い。河岸近くに一定間隔で打たれた杭に鴨が点々ととまっている。カヌーの練習をする人たちのボートが連なって流れていく。

桜を見る、というのは特別だ。記憶の中で「桜」がフックになって、そのときどんな風に過ごしていたかを思い出せる。

20代のころ、桜を見に家族で神田川沿いを散歩した。その頃母は闘病中で、弟は全国転勤ありの会社に入社して、名古屋に配属が決まったばかりだった。小さな蕎麦屋でお蕎麦を食べて、目白の通りを抜けて、椿山荘のお庭を歩いた。そこではじめて、両親が椿山荘で結婚式を挙げたことを知った。弟が家を出るから、もう恐らく二度と家族揃って花見をすることはないという予感がしていた。「今日この日をずっと覚えていよう」と強く思ったのだった。実際、家族5人そろっての花見は、それが最後だった。

桜の記憶に紐づけて、そのとき家族と過ごした日のことを思い出す。今も桜を見ると神田川を散歩したあの日がよみがえる。

いつか遠い日、桜を見れば今日のことも思い出せるだろうか。「外国人が多いね」とふいに夫がいうので辺りを見回すと、確かになぜかアジア系の外国人が多くて、なんとなく「彼なりの視点」を感じたこと。歩き疲れたのか甘えたな息子が、私が歩くのをはばんで抱っこをせがんでいたこと。駅名しりとりに夢中になっている間は、素直に歩いてくれたということも。

謎解き

謎解きイベントに参加するため、京王線井の頭線を行き来する。小腹が空いたので、明大前駅でドーナツを買った。渋谷行きのホームでこそこそかじっていると、すかさずわが子が「ママ、ここで食べちゃダメだよ!」と咎めてくる。子にマナー違反を叱られる親である。さて、井の頭線に乗ったことは数えるほどだが、子と乗るのは初めてだ。「今日は爽やかな色の空だな」「東松原って、駅があるんだな」などと明るい気分に浸る。

腰を据えて取り組まなければならない謎があり、途中のポイントで降りた駅でカフェに入る。google mapで選んだカフェには、入り口を入ってすぐのところにフクロウが2羽いて、どちらもとまり木で眠っていた。子はいたく気に入り、席を離れて3回見に行った。1羽は白い顔のメンフクロウだった。羽の色が、たっぷり水を含んだ絵筆を紙に乗せたような薄い茶色をしていて、所々にまだらの黒い模様が入っている。水墨画のモチーフにありそうだ。もしメンフクロウを描いた水墨画があれば見てみたい。

私はホットコーヒーを頼んだ。夫はアフォガードとイチゴミルク、子はクレープとリンゴジュースを注文する。私のコーヒーは作家もののコーヒーカップに入ってやってきた。カップ側面に、版画のようなタッチで山の上に流星群が降り注ぐ模様が入っている。器そのものが詩のようだと思った。「素敵なカップでコーヒーを飲む贅沢さ」を噛みしめる。そういえば、この前山の上ホテルのパーラーで、マイセンのカップで紅茶を飲んだときにも同じように幸せな気持ちになれた。わざわざ所有せずとも、外に出れば素敵な茶器でコーヒーをいただける。そういう価値の捉えかたもあると思う。

謎解きは夫に任せてコーヒーを啜ること2時間、夫は答えを見つけたようだ。カフェを出て駅に向かう。もう夕方の気配が色濃かった。

行きもなんとなく思ったけれど、この地域はやけに庭に梅を植えている家が多い。ぽつぽつと咲く小さな花は、薄暮の庭先でも、電飾のごとくぴかぴかと主張する。梅って桜よりも手軽に育てられるのだろうか。梅の花は庭園とかで群生しているさまも見事だけれど、こうして散歩中に思いがけず出会う感じもまたよい。春が庭先に降り立ち、道ゆく人々に「ここです」と春の訪れを知らせてくれているようだ。見た方もわざわざ「梅が咲いてるね」と言いたくなる。春の報せは特別だもの。

一日乗車券を無くしたので、新宿までの運賃を払わなければならなかった。しかもカフェで出した答えは間違いだった。徒労である。でも、謎解きでなければ一生来なかったかもしれない場所を歩くときのあの感覚。降り立った場所をもっと歩いて知りたいと思うけれど、時間が限られている。街歩きの予習としよう。

私はどこに行くかが重要なのではなくて、行ったことのない、観光地でもなんでもないただの住宅街をひたすらに歩くことが好きらしい。でも、自分から計画を立てて行動することが億劫だ。私の場合は、街歩きとしての謎解き。そういう謎解きの捉えかたも、あると思う。

ペトリコール

交差点で信号待ちをしていると、雨の前触れのような空気の匂いがする。

季節の変わり目の、湿気を含んだぬるい大気は、漠然とした切なさをはらんでいる。いつぶりだったか、どこかで吸い込んだことがある気がする。記憶の中から探し当てようとするその前に、その匂いに思いがけなく出会ったことすら記憶に残らない。正体がはっきりしないのに、幼いころから知っているような親しみがある。

今日もたくさん失敗した。いい年して、仕事も人付き合いも、上手くやれない自分にうんざりする。あんなことを言って、あの人の気持ちを傷つけたのではないか。もっとこうすればよかった。そんなことをクヨクヨ考えながら早歩きで駅に向かっていると、ふと、夜にさしかかる街の匂いがいつもと違うことに気づく。

「音と香りは夕暮れの大気の中を漂う」

ドビュッシー前奏曲のひとつで、たしかボードレールの詩の一節だったと思う。憂いをおびた、たゆたうような旋律。反復する和音。自分を包む大気の存在を感じるとき、その曲名を思い出す。

あるいは武満徹の「小さな空」かもしれない。悲しみや涙、言葉が、優しいメロディーに乗って呼びこされる。

匂いの正体は、アスファルトにひそむバクテリアやカビのにおいで、雨の前触れの香りらしい。

懐かしさの正体はカビなのだ。

次の交差点に差しかかる頃には、大気の匂いの実体に思いをはせたことすらも忘れているはずだ。

 

努力とは?

幼児向けのミュージック・ワークショップなるものに出かけた。

ワークショップはすばらしいものたったが、結論から言うと我々はあまり楽しめなかった。参加型のワークショップなので、12組ほどの親子の前で子どもが自己紹介するところから始まる。まじか、と思った。太郎は繊細で、新しい環境に強い不安を感じやすく、人の気持ちを敏感に感じとるタイプだ。案の定、私にギュッとしがみついて離れない。仕方がないので、わが子の番がくると、太郎を抱っこしながら前に行って、私が代わりに「たろうです」と名前を言った。太郎に負けず劣らず、私も人前に出るのが大の苦手なので、蚊の鳴くような声で申し出た。ピアノ担当のお姉さんが成り行きを見守りながら、戸惑うように指をおいた和音が、部屋全体に寂しく伸びる。

私も子どもの頃、親子参加型の英語教室の体験に行った。よく知らないところに連れてこられて、よく知らない人たちのまえで、どうやって楽しく英語の歌を歌えるというのか。子どもの頃から自意識の塊だったので、とんでもない羞恥プレイだった。私を連れてきた母に対して、なんてとこ連れてきてくれてんだよ心の中で怒りまくった。

さて、他の子どもはつつがなくみんなの前で自己紹介をし、ワークショップの物語に没頭していった。太郎も、少しずつ興味を示し、皆んなと同じ動きをするときは少し気をゆるめてはしゃいでいたものの、最後まで完全に空気に慣れることはなかった。動揺を周りに悟られまいと、私も引きつった笑顔を終始繕った。マスクをしてきてよかった。

ワークショップ後は講師との写真撮影があったが、私たち(というか、私)はそそくさと会場をあとにした。良かれと思って申し込んだのに、結果的に太郎に強いストレスを与えてしまったのではないか。幸い、子は「公園であそぶー」などとケロッとしていた。よかった。今日のことで、絶対に自己嫌悪に陥ってほしくない。

私もそうだが、苦手なことに対峙したとき、どう乗り越えるべきか、もしくは乗り越えるまでは行かなくとも、どうすれば他の人並みにできているように見せるか、きちんと自分なりの対処方法を分かっておくようにしなければならない。自分の取り扱い説明書を持ち、攻略方法を把握しなければならないと思う。ネットで読んだ記事には「スモールステップで成功体験を積むべき」、とあった。スモールステップ。小さな階段。今日感じとったことを私が糧にすればいい。この日のことも、スモールステップになればいい。

 

前職は雑誌の編集の仕事をしていたのだが、上司は私の書く原稿がとてもよくできていると褒めてくれた。単純に嬉しかった。

ただ、それはかつて出会った編集者の「わかりやすい文章を書くためのポイント」を実践したり、いいなと思うライターさんの原稿をたくさん読んで傾向を真似ただけのもので、何か私だけに備わった特別な文章の才能があるわけでは決してない。事実他の部員から評価されたことはないし、むしろ同僚からは「クセがある」と指摘されたことがある。ただ単に上司が私のことを履き違えている可能性も高い。しかし、それなりの文章に見えるポイントを押さえることができたとしたら、その業務(この場合は原稿執筆業務)を人並みにこなすための自分なりの対処方法を言語化できていたということでもある。

こういう小さな成功体験を増やしていきたい。能動的に得てきた知識(よく書けるポイント)と、否応なしの実践の場(毎月の原稿)を繰り返したことが良かったのか。思えば、自分は何をやっても人並み以下だったが、無駄な反復練習をしてきたものの、うまくやるコツの言語化はおろか、なにか能動的に知識を得ようとしていなかった。よくある言葉で言う「インプットとアウトプットが大事」というのは、こういうことなのだろうか。「努力」って、こう言うこと?

いつか子どもに、新しい環境への立ち向かい方を聞かれる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。私にできることは、同じ悩みを持つ同志として、共感し、自分の経験をもとに感じたことや教訓を伝えることくらいかなと思う。私は私のポンコツさをあきらめている場合ではない。でも、本当にそうかな。

山の上ホテルの裏側から

この日は神保町駅方面から、明治大学の裏手を通ってホテルを目指すことにした。「山の上ホテル」は、昔GHQ検収されていたころ、ヒルトップホテルと呼ばれていたらしい。当時の呼び名を後に和訳したのが、現在の名前だという。直訳すると「丘の上ホテル」だが、あえて「山」としたのはなぜだろう。当時の総支配人の粋な言葉選びだろうか。それとも、かつてこの高台が「神田山」と呼ばれていたからだろうか。

急な坂道を一歩一歩踏みしめるように進む。右手にクリーム色のタイルの「山の上ホテル」が見えてくる。立地的にみても主張が控えめで、ホテルというよりはまるで大きな邸宅のようだなと思う。チャペルのバルコニーには青銅色の外灯が一本だけ立っており、冬の朝はまだ薄暗いからか、明かりが灯っていた。大きな看板の出た正面側から入り口を目指さなかったのは、この裏側の雰囲気が好きだからだ。

思い出す。二十歳のころだったと思う。ホテル裏手の公園でなんとなく午前の時間をつぶしていると、ふと目線を上げた拍子に、花嫁が目に入った。山の上ホテルのバルコニーから、白いウエディングドレスを着た花嫁が階段をくだってゆく。そのときはじめて、自分の通う大学横の古いホテルに、小さなチャペルが併設されていることを知った。彼女のまわりは厳かな喜びに満たされていた。遠くから眺めているこちらにも伝わってくる。

なんとも素敵だった。

そのたった数秒の出来事は、いわば私の「ウエディング原風景」となった。その後、表参道や丸の内などの有名な式場やウエディングフォトスポットで何度か花嫁さんを見かけたし、どれもそれぞれに綺麗だったけれど、記憶に残るような感動はなかった(実際に自分が参列した結婚式は別だ)。私は学生のときに抱いた「いつか結婚するなら山の上ホテルで」という願いを、28歳のときに叶えた。

ホテルを見上げる位置にあったその公園は、今は大規模な改修工事中だ。リニューアル後のパース画像とともに、建築計画の掲示が出ている。公園の横にあった保育園と小学校は、今っぽいきれいな校舎に建て替わっている。あれから10年以上も経てば、街もどんどん生まれ変わってゆくのだ。

 

8:55に着いた。すでに60名ほど並んでいる。終わりの方なので遅い時間になるらしい。早い人は7時前から並んでいるようだ。とはいえ、一安心である。

並んでいる間も、ひっきりなしにパーラーへの整理券を求めて人がやってきた。

息を切らせながら「整理券の列は…」と聞く50代くらいの男性がいた。ホテルマンが受付終了したことを告げると、彼は茫然とした表情を滲ませた。一度入り口を後にし、再び、年配の母親らしきよく似た女性とやってきた。母親も自分の耳で確かめたいのか、同じようにホテルマンに問い合わせている。息子はホテル前の急な坂を駆け上がり、急いでやってきたようだ。代わってあげたい衝動にかられた。

他にも、ビジネスマン3人が仕事の合間といったていでやってきた。代表者らしき男性が、受付終了だとわかると「オレここで結婚式挙げたんだけど…」と一瞬残念そうにしていたが、颯爽と去っていった。「お茶をいただきたいんだけど」という言い方がスマートだった。こんど私も真似してみたい。