サイクリング

土手のそばの開けた公園でピクニックをした。最近は14時くらいで少し夕方みたいな雰囲気に鳴る。肇が「隠れんぼしよう、自分が帰ってくるまでにママ隠れてて」というので視界から楽に消えようと思い、ローズガーデンのベンチに座った。すると薔薇の向こうで、姿は見えないがアコーディオンの練習を誰かがしはじめた。映画「アメリ」を思い出した。たまに予定調和を崩すような和音が来るたびに嬉しくなる。

そのあとショッピングセンターへ。元いた場所から自転車で30分ほどかかる。はじめて通る川沿いの道をひたすら漕いだ。造船所の大きな屋根や、遠くで聞こえる足祭りの声。

夕方、ミスタードーナツでお茶をした。私はお腹が空いていなかったので、ジャスミン茶だけ頼んだ。肇はローカロリーをうたった健康的なドーナツを選んだ。しかし全く食べずに、ゲームをしたり私の膝に頭を乗せてうだうだしている。さっきのピクニックでも、190円もするクーリッシュを買ってあげたのに、あまり興味を示さず溶かした。ちゃんと注意しようとした。「食べたいというから買ったのになぜ食べないのか。いたずらに欲しがらないでほしい。ママのお金は有限なので、次からは買わない」ということを強めに言った。夫は「じゃあ買わなければいい、買うのが悪い」という。肇は前の一点を見つめながらだんだんと目を赤くした。

ママと同じのが食べたいって言ったの。シナモンのやつは、あれがいいよって言っただけなの。

急に可哀想な気持ちになった。私がちゃんと話を聞いてあげれば、会話をしていれば、違うものを買っていたかもしれない。反省した。

ミスドを出る頃には思っていたより空が暗くなってきた。季節が進んでいることに気づく。自転車で来た道を戻る。私たちの後ろから、小学生くらいの少し不良っぽい男の子たちが何か言いながら追い越していった。イワシの群れみたいだな、と思った。

誕生日ケーキ

ケーキを吹き消すために、部屋を暗くする。ハッピーバースデーの歌を歌うその間だけ、その部屋の外は一切の音を遮断したかのような、感覚になる。全てが止まっている。ここだけ別の世界。30年前の自分の記憶と繋がっているような、不思議な感覚で、わが子に向けて歌をうたう。

蝋燭の火に照らされる、息子の嬉しそうな顔。早く消したい!その一心で火を見つめている。一瞬の永遠がある。

お誕生日おめでとう。

キャンプ

勝浦へ。ここ数週間、ことあるごとにキャンプに行きたいとせがむ肇の希望をかなえるためだ。三連休の初日は私の病院があったので、日曜日と月曜日の二日間だ。

蘇我や上総一ノ宮といった、耳なじみはあるけれも一度も降り立ったことのない駅を後にし、ついに勝浦へ。海からの風がよく吹いていた。

観光案内所でMAPをもらい、1番近い小さな浜辺へ。「保育園のプールで慣れたから!」とたじたじしながらも足をつけて「つめたい!」と満足げだ。着替えを持ってくるのを忘れたのに、波打ち際でしりもちをついて、早速ずぶ濡れに。

バスでキャンプ場へ。キャンプ場までの急な斜面を勢いよく駆け登る5歳児。予約したログキャビンに大変はしゃぐ。持参したトランプと虫とりで遊び、オンブバッタを捕まえたと喜んでいた。

レトルトカラーと茹でたソーセージという簡素な食事をとった後、肇は寝る前にシャボン玉をやりたがった。周りは花火をやる子たちで騒がしく、買ってあげられなかったことをかわいそうに思ったが、肇はあまり気にしていない様子だった。遊具のそばの暗いところで、彼は気が済むまでシャボン玉を吹いた。コツを掴んだのか、暗闇にたくさんのシャボン玉の光る輪郭が浮かんだ。きれいだった。曇り空のかすかな合間からオリオン座が見えた。寝る前に「キャンプたのしい〜」とポツリポツリと笑顔でつぶやいていた。

穂先

おばあちゃんの家に行って、叔父さんと打ち合わせをする。

手ぶらじゃダメだと思い、駅前の花屋で550円のミニブーケを買った。 小学校の同級生が、親の店を受け継いでいた。私はすぐに気づいたけれど、向こうはどうだっただろう。5年以上前に一度花を買い、その時に二言三言話しただけ。一度も目が合わなかったけど、青い色の髪をしていた。「おばあちゃん、ピンクがすきそう」と肇はカーネーションのブーケを選んだ。

祖母の家に上がってニコニコしながら渡すと、祖母は「おばあちゃんピンク大好きなの」ととても喜んでくれた。話の途中で、いてもたってもいられない感じで、水を入れたコップを入れて戻ってくる。 モロゾフのプリンの空き瓶を、コップとして使っている祖母の性格が好きだ。 「あとでちゃんとした花瓶にかえるけど」と言って。本当に嬉しがってくれて嬉しい。

この日、話はまとまることなく終わった。おばあちゃんは途中で私たちを裏の畑へ連れ出した。全国で桜が満開になったとニュースになっていた。 畑のはずれにスナップエンドウが群生していて、まだところどころに花をつけていた。

スナップエンドウの花って白いんだ。

一生懸命ちょこまか走り回って、摘もうとする息子と、無造作にもいでぼぽいぽいとジップロックに詰める祖母。 日当たりのよい畑で、背中いっぱいにぽかぽかとした春のひかりを受け止める。スナップエンドウを摘む2人がとても尊いもののように思えて、彼らの所作ひとつひとつを見守った。この光景をあとで見返せるよう、スケッチに残せたらどんなにかいいだろう。

私が「肇、ここにテントウムシがいるよ」と声をかけると、肇は「わあ〜」と明るい声を出して喜んだ。それを見ていた祖母が、菜の花の穂先にいる小さなテントウムシを見つけると、こともなげにまだ若い穂先をぷちりと摘んだ。息子に「ほら、ここにもいたよ」といって見せると、息子は目を合わせずに「ほんとだ〜」と答える。息子のやや拍子抜けな反応が返ってきたあと、祖母は花の芽を畑にぽいと放った。

夕飯前に肇とスナップエンドウのスジとりをして、スープを作った。豆と小松菜と卵のスープ。 肇は「おいしい!」と言って2杯食べた。

天国へのかいだん

寝る前にはじめて

「太郎もいつか死んじゃうの?」

「太郎、しにたくない…」と言って

すすり泣いた。

死を認識することは自我が確かなものになりつつある証拠だ、みたいなことを読んだことがある。気がする。

私も子どもの頃、寝る前に急に死ぬことが怖くなって母に泣きついたことがある。

母はそのとき

「いつか死を受け入れられるようになるよ」

と優しくなぐさめてくれた。

けれど、母の死後、病床で母が記した手帳をみると「私、このまま死ぬの?」

とあった。

いつか死を受け入れられるときなんてきっとない。

死はとつぜんやってきて、その人をさらっていく。

それでも私は、太郎に「きっといつか、死を受け入れられるようになるよ」と話しかけた。

なんだか忘れっぽい

疲れているのか、ストレスが溜まっているのか、なんだか最近忘れっぽい気がする。

話を聞いているそばから忘れてしまう。頭に入ってこなくて、切り返しの言葉が見つからないときもある。電話の話が特に入ってこない。昨日なんて、「え?そんな話してませんしこういう話でしたよね?」なんて若干怒られてしまった。複雑な仕事の議題だけじゃなくて、雑談みたいな話も難しい。「へえー」とか「えー!」とかしか返せない。

 

朝6時に起きてシャワー浴びてドライヤーをしようとすると、「ままー」と寝室から声がする。諦めと、会いに行きたさが混じった気持ちでおはようを言いに行く。私を呼ぶこの声を、いつまで覚えていられるんだろう。

 

忘れるのがこわい。いつかその声がどんなだったかを思い出せなくなる日が来るだろう。私がつけたその名前を、世界一宇宙一大切なその存在を、忘れるのがこわい。

絵本と反省と

眠い。このあと太郎が寝たら、今日中に入稿をひとつしなければ。今日会社の人に押し付けられた会議、結局ぜんぜん発言とかできなかった。眠い。やっつけ仕事的におさるのジョージを読んでいる。眠い。太郎は全く聞いていない。大人向けの模型列車の絵本を読んでいる。眠い。

「ママこれ読んで〜」

いや、ママこれ読めないよ。だってこれ、文字が読める大人が一人でじっくり読む趣味の雑誌であって、ママが太郎に読み聞かせるような内容じゃないよ。てゆうか、ママの話聞いてないよね?もう絵本読むのやめるよ?

そうたたみかけると、太郎は口をへの字にして、こちらを悲しそうに見つめる。みるみるうちに大きな目に涙が溜まっていく。

あちゃー。

こないだの父の一言が思い出される。「優しくしてやって」

「口すっぱくしていろいろ言うのが母親」じゃないのに。どうして冷たくしちゃうんだろう。かわいい時間は限られてるのに。気が弱いせいで仕事では誰かのことを詰めるなんてできないのに、泣かせるまで子供を詰めて。

太郎が飽きるまで線路の漢字を読んであげればいいものを。おさるのジョージをこなすことがそんなに大事か。

子どもの好きに徹底的に向き合う、私にできることはそれしかないのに。