山の上ホテルの裏側から

この日は神保町駅方面から、明治大学の裏手を通ってホテルを目指すことにした。「山の上ホテル」は、昔GHQ検収されていたころ、ヒルトップホテルと呼ばれていたらしい。当時の呼び名を後に和訳したのが、現在の名前だという。直訳すると「丘の上ホテル」だが、あえて「山」としたのはなぜだろう。当時の総支配人の粋な言葉選びだろうか。それとも、かつてこの高台が「神田山」と呼ばれていたからだろうか。

急な坂道を一歩一歩踏みしめるように進む。右手にクリーム色のタイルの「山の上ホテル」が見えてくる。立地的にみても主張が控えめで、ホテルというよりはまるで大きな邸宅のようだなと思う。チャペルのバルコニーには青銅色の外灯が一本だけ立っており、冬の朝はまだ薄暗いからか、明かりが灯っていた。大きな看板の出た正面側から入り口を目指さなかったのは、この裏側の雰囲気が好きだからだ。

思い出す。二十歳のころだったと思う。ホテル裏手の公園でなんとなく午前の時間をつぶしていると、ふと目線を上げた拍子に、花嫁が目に入った。山の上ホテルのバルコニーから、白いウエディングドレスを着た花嫁が階段をくだってゆく。そのときはじめて、自分の通う大学横の古いホテルに、小さなチャペルが併設されていることを知った。彼女のまわりは厳かな喜びに満たされていた。遠くから眺めているこちらにも伝わってくる。

なんとも素敵だった。

そのたった数秒の出来事は、いわば私の「ウエディング原風景」となった。その後、表参道や丸の内などの有名な式場やウエディングフォトスポットで何度か花嫁さんを見かけたし、どれもそれぞれに綺麗だったけれど、記憶に残るような感動はなかった(実際に自分が参列した結婚式は別だ)。私は学生のときに抱いた「いつか結婚するなら山の上ホテルで」という願いを、28歳のときに叶えた。

ホテルを見上げる位置にあったその公園は、今は大規模な改修工事中だ。リニューアル後のパース画像とともに、建築計画の掲示が出ている。公園の横にあった保育園と小学校は、今っぽいきれいな校舎に建て替わっている。あれから10年以上も経てば、街もどんどん生まれ変わってゆくのだ。

 

8:55に着いた。すでに60名ほど並んでいる。終わりの方なので遅い時間になるらしい。早い人は7時前から並んでいるようだ。とはいえ、一安心である。

並んでいる間も、ひっきりなしにパーラーへの整理券を求めて人がやってきた。

息を切らせながら「整理券の列は…」と聞く50代くらいの男性がいた。ホテルマンが受付終了したことを告げると、彼は茫然とした表情を滲ませた。一度入り口を後にし、再び、年配の母親らしきよく似た女性とやってきた。母親も自分の耳で確かめたいのか、同じようにホテルマンに問い合わせている。息子はホテル前の急な坂を駆け上がり、急いでやってきたようだ。代わってあげたい衝動にかられた。

他にも、ビジネスマン3人が仕事の合間といったていでやってきた。代表者らしき男性が、受付終了だとわかると「オレここで結婚式挙げたんだけど…」と一瞬残念そうにしていたが、颯爽と去っていった。「お茶をいただきたいんだけど」という言い方がスマートだった。こんど私も真似してみたい。