干し柿

おばあちゃんが煮物やイチゴ、干し柿をたくさん持ってきてくれた。夫が干し柿が好物であることを話すと度々持ってきてくれるようになった。

愛だなと思う。

私の父もそうだ。たまに会社帰りのスーパーでお菓子や惣菜を買い込んでくるのが習慣だったのだが、その中にポイフルがあると私がとても喜んだ。以来私が30歳をすぎても、たまにポイフルをくれる。

そんな父も、夫が甘酒好きだと知ると、たまに差し入れで持ってきたお菓子やジュースの中にそっと甘酒をしのばせてくれる。

 

さて、もう夕食作りがめんどうだったので、おばあちゃんが持ってきてくれた煮物と冷凍のから揚げ、イチゴ、その他菓子パンで夕飯をすませることにした。子はさっそく「イチゴたべるー」とイチゴを頬張る。

 

レンジで加熱したばかりのから揚げをアチアチ言いながら食べていると、「ふーふーしてあげる」と言いながらやってきて、二つに連なったから揚げを、それぞれ「フッフッフッフッ」「フッフッフッフッ」とほっぺを膨らませながら短く息を吐き冷ます。くちばしのような唇が愛らしい。

「フーフーサービスだね」と私が言うと、

「フーフーマシン、だよ」と訂正された。

 

夜寝る前、「明日ごみの日だよ。これ出さなかったら終わりだよ!」と夫に念押しした。あまりにもしつこく念押しする私を見て

「出さなかったら、鼻パック?」と聞いてきたのが滑稽だった。私が夫に鼻パックをしたがっていつも全力で嫌がられていることを、よく見ている。

 

 

 

明るい夜

日曜23:30頃から子が3続けて3回吐く。こんな日もあるかなと思ったら、軽くはすまず、朝7時までに10回以上吐いた。4回目以降からは胃の内容物なしに、げっぷごと吐き出すようにして吐いた。寝ながら吐いて、そのあとはすやすやと寝るのだった。

最初はうろたえて必死に夫を呼んでいた私も、だんだん慣れてきた。お腹のゴロゴロ鳴る音が聞こえたらすぐ目を覚まし、顔を横に向かせてタオルを当てがう。産後「子育て中は何かと入り用だから…」と大量に貰ったお年賀タオルを使い尽くすほど。捨てないでよかったと4年越しに思った。

そうやって夜中に何度も起きてゲロ処理をしていると、なんだか新生児の頻回授乳を思い出した。眠りに落ちかけたところでアギャアと泣き、授乳してまたウトウト、を繰り返したな。

結局この日はほとんど眠れなかったけれど、いたわりの気持ちだけで接することができた。それは、あの夜間授乳をなんとなく思い出していたからだと思う。全く赤子が寝ないあのころは、「いつ寝るのいいかげんにしてよ」と本当にイライラしたときもあったけれど、手のかかる時期が終わってしまったことが、心の深い深いところでは寂しかったのかもしれない。わが子は、まだまだ手がかかる。

翌日は登園をお休みした。夕方から東京に初雪が降った。積もった雪を見て、子は「ワア〜」とややファルセットな声で喜んでいた。私もなんだか嬉しかった。雪の夜はカーテン越しにほんわりと外の明るさを感じる。いつもと違う明るい夜。

絵本を読み、歯磨きを終えて、洗面所から戻ると珍しく子はすでに寝ていた。カーテンを引いて寝るとき、もう一度外の明るさを一人で眺めた。静かだった。

今日は夫が出張で帰ってこないので、ベッドを大きく使おうと思って夫の場所で寝ようとしたら、子がすり寄ってきて結局ベッドの端っこで寝ている。幸せだ、と思う。

やはり子育ての幸せは、不便さのなかにあるのかもしれない。

寝顔

夜中に目が覚める。お手洗いに行って、冷蔵庫のタイマー時計を見ると3:14だった。スマホの充電が切れていたので、居間の明かりをつけて短歌雑誌を読む。宇宙と短歌をテーマにした、歌人による寄稿文だった。私には難しいが、入眠儀式としてはちょうどいい。

読んでいると子が「ママ〜」とまあまあ大きな声で呼んできた。無視していると何度も呼んでくる。こんだけ大きな声で呼んでるのに横で起きない夫って何よとわずかにイライラしつつ枕元に行き頭をなでる。

「もうあさ?」

「まだだよ」

「はやくねて」

私は「わかった」と言いながら、子の寝顔を見ながら頭を撫で続けた。まるで陶器のようなすべらかな頬だ。

なんとなく、こないだの親戚の通夜で見た故人の顔と比較した。その土気色の肌を見たとき「もうここにはいないのだ」と思った。生前の写真と比較する。そこにあるのはもうその人ではなく、旅立ったあとの骸であった。

5年前に息をひきとった、私自身の母の遺体に対峙したときはどうだったか。そのときも「もうそこにはいない」ということをまざまざと感じた。横たわる母は「不在」なのだった。

そういえば出棺の前に少し困ったことがあった。母の死化粧の口紅の色だ。

「お母様の口紅は、どんなお色味でしたか?」

葬儀屋の女性がパレットの色を見せて、私たち遺族に母の口紅の色を確認した。父も覚えてないようで、「このくらいだったかな?」と私に聞いてきた。私も思い出せなかったけれど、「これくらいだったと思います」と指を指してみた。女性が筆で母の口元に乗せたその色は、実際に塗ってみると、生前の母の化粧とは少し違うように感じた。少し地味すぎる。それを伝えると、パレットの色を混ぜて色を調節し、女性は色味を直してくれた。今度は少し派手だ。でも、何度も直すのは気が引けたのでやめた。今思えば母の使っていた口紅をそのとに用意できればよかったと思う。結局、少し鮮やかすぎるピンクの口紅を塗った母と、最後のお別れをした。

 

目の前のわが子は

「もうねて」

とほぼ息を吐くように囁いている。もう寝たのかと思ったら、かすかに目をあけてぎょろぎょろしながら夢と覚醒のはざまを行ったり来たりしている。そのまま見ていると、聞こえるか聞こえないかくらいの声でもう一度

「もうねて」

と言った。私は諦めて布団にもぐり、メガネをとって枕元に置いた。カチリ、とメガネのフレームをたたむ高い音が寒い部屋に響く。子はそれを聞くと安心したのか、寝返りをうって寝息を立て始めた。

雨の日のお散歩

子が「おじちゃんに、ぬいぐるみのお礼をいいたいの〜」というので、雨の日に実家まで歩いた。

実家は近い。自宅にいても実家にいる父のくしゃみが聞こえるほどの至近距離にあるのだが、雨が割と降っていたので、うーん少し面倒だなというのが正直な気持ち。

「お礼」というのは、昨晩、私の弟に「ゴーヤちゃん」というぬいぐるみを貰ったことに対するお礼だ。子は終始それをニコニコ眺めたり、抱きしめてみたり、一緒に寝たり。いたく気に入ったようだ。昔、「ちゅらさん」というNHKの連ドラがあって、劇中に「ゴーヤーマン」というのが出てきたっけ。ヒロインの兄役の、ガレッジセールのゴリが作ったキャラクター、だった気がする。ゴーヤちゃんは、それとは別物らしい。ゴーヤーマン好きだったな。ゴリって今いくつなんだろう。

ゴーヤのぬいぐるみでこんなにハッピーになれるのなら、弟はとてもいいものを買ってきてくれたと思う。

さて、雨の中支度するのはおっくうだったが、子はどうしてもといって聞かない。私も「お礼を伝えたいという殊勝な気持ちをないがしろにしてはいけない」という気持ちが勝った。子は長靴を履き、ゴーヤちゃんを入れたリュックを背負う。近所に行くのにわざわざ大げさな格好になってしまうのが、人生4年目のこなれてなさというか、かわいい。

家から出るとさっそく水たまりに入り、嬉しそうに足踏みしている。長靴を履かせていると、水たまりでバチャバチャやってていても、こちらも咎めることなく眺めて待っていられる。たーんとおやり。

少し先には、実家の塀を飛び越して、まるまるとして大きな甘夏がなっている。食べごろだ。そろそろ切って食べなきゃな。これだけおいしそうになっているのに、近所の誰も盗らない。治安がいい。

甘夏の下を通り過ぎるころに、息子がこちらを見上げて、「雨の日のおさんぽも、なんだかちょっとイイネ〜」と言った。サイズアウトしつつある「はらぺこあおむし」の傘の中から顔をのぞかせて、ニコニコしている。いい笑顔だ。君が今着ている中綿アウターの蛍光イエローに負けないくらい、眩しい。雨の日の気だるさを軽く吹き飛ばしてしまう。君にとってはお散歩だったんだね。確かにいいな。いいね。

子は実家で、無事、私の弟にありがとうを言えた。その後は夫と3人でとんかつを食べる予定だったので、ドラえもんを2話見たところで家に戻る。外に出てもまだ雨が降っていた。

ふと足元のアスファルトを見やると、カタツムリが地面をはっていた。子は腰をまるめて嬉しそうに眺めている。私たちが見ていたせいか、カタツムリはほとんどじっとしているように見える。「ぜんぜん動かないネー」と子が言った。

とんかつ屋への行きしなにもう一度通りかかると、カタツムリは左に20cmほど移動していた。

 

something good

少し前に、米米クラブの「君がいるだけで」を使ったCMが泣けると話題になった。

https://m.youtube.com/watch?v=6nuZAWVIrEo#bottom-sheet

本来は男女の仲を歌った恋愛ソングだが、

子育てにもぴったり当てはまる。

歌詞の中の「君」をわが子に置き換えて歌うと、

ほんとにそうだなあとしみじみしながら聴かずにはいられない。

 

同じようなことを言える歌が私にもある。「Something good」である。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、マリアと大佐が庭の片隅でこう愛を口ずさむのだ。

 

Perhaps I had a wicked childhood

Perhaps I had a miserable youth

But somewhere in my wicked, miserable past

There must have been a moment of truth

 

For here you are, standing there, loving me

Whether or not you should

But somewhere in my youth or childhood

I must have done something good

 

Nothing comes from nothing

Nothing ever could

So somewhere in my youth or childhood

I must have done something good

 

https://m.youtube.com/watch?v=UetJAFogqE4

 

冴えずみじめな若い時代を過ごしたけれど、

きっと自分は過去のどこかで何かいい行いをできたのだ。

その証拠に、今、あなたがここにいて、私を愛してくれている。

だって無からは何も生まれないから。

 

ーー子育てで大事なのは「自己肯定感を高めてあげること」と育児書でよく読む。

私は自己肯定感が日本海溝ばりに低いので、その大切さは痛いほどわかる。

そんな中「不完全な自分ですらも強く必要としてくれる存在」であるわが子に救われる。それと同時に、「母親という存在以外には何者にもなれなかった自分」「人生に勝ち組と負け組があるとしたら、なんとなく、負け組に振り分けられているであろう自分」を惨めで情けなく思うときもある。

でも、そんな冴えない私の元気の源である、かけがえのないわが子を産んだのは、他でもないこの私だし、私が昔どこかで善行を積んだおかげでわが子に出会えたのだと。

私の過去どこかで、子どもに出会える鍵を拾っていたのだと。

この歌はそう言っている。ように聞こえる。

にわとりが先か卵が先かのような話だけど、

愛するわが子の存在が、自分の過去を強く肯定してくれると思える。

 

過去の自分を優しくハグしてくれるような

そんな優しい歌に聞こえるのだ。

 

ねごと

寝不足だ。寝不足がたたったのか日曜日は39.4度の熱を出した。

なぜ寝不足なのか、それは寝る前のスマホいじりと息子の夜驚のせいに他ならない。スマホは自分自身を律せばいいとして、息子の夜驚は解決してあげたい。

クーラーの冷気が隣の寝室まで届かないせいで寝苦しいせいだろう。クーラーの位置が悪いせいで、なかなか冷気が家中に行き渡らない。ときにドンドンと壁を蹴りながら叫んでいる。

そんなときはサーキュレーターを回したり、寝ている位置を空気の通り道の近くに変えてやる。すると間をおかず、子はすうすうと快適そうな寝息を立てはじめる。暗い寝室に平穏が訪れる。

深夜に叫ぶのは困るが、息子はよく寝言をいう。ほぼ毎日言う。

ほほえましかったのは「ママ、冷蔵庫にメロンとさくらんぼがあるよ」「ママ だいすき~」の2つだ。寝言を集めてセットリストにして、ゆくゆくは終末期の自分の病室でBGMとして流したい。

 

最近は寝ばなにspotifyフォーレエルガーをかける。遠い未来に、彼がどこかで聞いたとき、「なんだか落ち着く」と思ってくれるといい。何か小さな動物のような様子の息子が、屋外からのわずかな光を受けて浮かび上がる。暗闇の中できょろきょろと私を探している。手探りで私の身体を見つけると、安心したようにコテっと倒れ、私の傍に頭をうずめて寝ている。とてもかわいい。寝不足で凝り固まった目の奥にその様子を映しながら、ぼんやりと考える。

 

 

変な姿勢で本を読む

ベッドにうつぶせになり、その端から床に向かってにゅっと頭を出す。床に本を置き、上から見下ろすように読む。これが一番楽だ。自分の陰で文字が暗くならないよう、できるだけ窓のそばで。

子どものころ、同じようにソファにうつ伏せになってハリーポッターシリーズを何度も読んでいたら、小2でメガネになった。以来私の近視は年々悪化している。

今日もそうやって本を読んでいると、息子が私の脚の上によじ登ってきた。「ママ、あったかい?」と甘えながら私の脚のあいだに身をおさめている。とんとん、と限りなく優しい力で腰を叩いたりもしている。

あったかいよ。ありがとうね。

そういえば、生まれて2か月くらいまでは、寝転がって胸の上に子を乗せていた。生まれたてのわが子は、されるがままに乗っけられていた。その無力さが愛おしい。親の体温の温もりに安心してすうすうと寝息を立てていた。横向きの寝顔の口元が圧縮されて、ギザギザポテトみたいだった。羽のように軽かったわが子。

 

気づいた頃には部屋はずいぶん暗くなっていた。子を抱きかかえ、すでに明かりをつけた隣室に移動した。