寝顔

夜中に目が覚める。お手洗いに行って、冷蔵庫のタイマー時計を見ると3:14だった。スマホの充電が切れていたので、居間の明かりをつけて短歌雑誌を読む。宇宙と短歌をテーマにした、歌人による寄稿文だった。私には難しいが、入眠儀式としてはちょうどいい。

読んでいると子が「ママ〜」とまあまあ大きな声で呼んできた。無視していると何度も呼んでくる。こんだけ大きな声で呼んでるのに横で起きない夫って何よとわずかにイライラしつつ枕元に行き頭をなでる。

「もうあさ?」

「まだだよ」

「はやくねて」

私は「わかった」と言いながら、子の寝顔を見ながら頭を撫で続けた。まるで陶器のようなすべらかな頬だ。

なんとなく、こないだの親戚の通夜で見た故人の顔と比較した。その土気色の肌を見たとき「もうここにはいないのだ」と思った。生前の写真と比較する。そこにあるのはもうその人ではなく、旅立ったあとの骸であった。

5年前に息をひきとった、私自身の母の遺体に対峙したときはどうだったか。そのときも「もうそこにはいない」ということをまざまざと感じた。横たわる母は「不在」なのだった。

そういえば出棺の前に少し困ったことがあった。母の死化粧の口紅の色だ。

「お母様の口紅は、どんなお色味でしたか?」

葬儀屋の女性がパレットの色を見せて、私たち遺族に母の口紅の色を確認した。父も覚えてないようで、「このくらいだったかな?」と私に聞いてきた。私も思い出せなかったけれど、「これくらいだったと思います」と指を指してみた。女性が筆で母の口元に乗せたその色は、実際に塗ってみると、生前の母の化粧とは少し違うように感じた。少し地味すぎる。それを伝えると、パレットの色を混ぜて色を調節し、女性は色味を直してくれた。今度は少し派手だ。でも、何度も直すのは気が引けたのでやめた。今思えば母の使っていた口紅をそのとに用意できればよかったと思う。結局、少し鮮やかすぎるピンクの口紅を塗った母と、最後のお別れをした。

 

目の前のわが子は

「もうねて」

とほぼ息を吐くように囁いている。もう寝たのかと思ったら、かすかに目をあけてぎょろぎょろしながら夢と覚醒のはざまを行ったり来たりしている。そのまま見ていると、聞こえるか聞こえないかくらいの声でもう一度

「もうねて」

と言った。私は諦めて布団にもぐり、メガネをとって枕元に置いた。カチリ、とメガネのフレームをたたむ高い音が寒い部屋に響く。子はそれを聞くと安心したのか、寝返りをうって寝息を立て始めた。